さてここまではチームが万能!という乗りで書いてきましたが、そうそううまくいかないのもやはり人間が関わるが故でしょうか。
実はCRMとは「チームをうまく組めば何でもできる」ことを言いたいのでは決してありません。
「チームを組む利点はこんなにある。しかし人間の特性に根ざした落とし穴もこんなにあり、そこに気付かなければチーム機能は損なわれてしまう。そういう意味で各個人はどう思考しどう行動すべきなのか」
を考えるためにあるのです。
もともと「チームを組む」のは人間個人の弱点を互いに補い合うことが目的であったはずです。そういう意味では当然一人より二人、二人より三人と数が増えるほどリソースが増えていくわけですが、その答えが単純な足し算とはならないところが人間味なのかもしれません。このことについては「リンゲルマンの綱引き実験」という有名な話があるので、ここで簡単に紹介しておきましょう。
リンゲルマンの実験では、一人で綱を引いた時、二人で綱を引いた時、以下同様に人数を増やしていった時、一人あたりの作業量はどのように変化していくかについて観察したところ、以下のような結果が出たというのです。
「一人で綱を引いた場合の力を100とすると、二人で引くときには93の力しか出せない。更に三人だと85、これが八人になるとついに49になってしまった。。。」
これは一般的に「社会的手抜き」と呼ばれている現象で、人は大勢の中では自分一人が少しくらい手を抜いても、大した影響はないだろうと考えてしまいがちだということを言っているのです。またこれは組織の中などでよく見られる「集団浅慮」などと呼ばれる現象とも深い関わりがあることが知られています。
まさか飛行機のコックピットで「社会的手抜き」現象なんて、と思われるかもしれませんが、例えばキャプテンの存在に頼りきって100%の力を出しきらない、お互いが遠慮し合う、あるいは一人の思い込みが相棒も巻き込んでしまうなどといった、どんな職場でも起こりそうなことが実際に起こっているのです。
そういった意味で非常に分かりやすい事故例があるので紹介しましょう。実はこの例もたまたま、この章の中程で紹介した広島空港の事故と同じ、アシアナ航空機が起こした事故です。
この事故は2013年7月6日、韓国仁川国際空港からサンフランシスコ国際空港へ向かっていたアシアナ航空214便、ボーイング777型機が着陸に失敗したもので、事故機は滑走路手前の護岸に機体後部をぶつけた後、コントロールを失い滑走路脇の草地に飛び出して停止、炎上しました。その結果は搭乗していた乗員乗客307名の内3名の乗客が死亡、182名が重軽傷を負うという重大なものでした。
サンフランシスコ空港 ランウェイ28L
当日のサンフランシスコ空港の天候は晴天で風も弱く、飛行に支障があるような気象状況では全くなかった。ただ空港の施設的には何も問題がなかったわけではない。
当日のサンフランシスコ空港の天候は晴天で風も弱く、飛行に支障があるような気象状況では全くなかった。ただ空港の施設的には何も問題がなかったわけではない。
サンフランシスコ空港には二本ずつほぼ直角に交差する計四本の滑走路があるが、そのうちの一本、ランウェイ28L(平行滑走路のうちの左側滑走路)は飛行場施設更新作業の影響でILS(計器着陸誘導システム)が作動していなかったのだ。いや正確に言うと、ILSは左右方向のコースを指示するローカライザーと、上下方向の降下経路を指示するグライドパスという二つの機器の組み合わせで成り立っている。事故当日はそのうちのグライドパスが停止しており、着陸しようとする飛行機はローカライザーによってコースの指示は受けられるものの、降下経路についてはパイロットの目視によって飛行することが求められていたのだ。
それは大変だ!と思われるかもしれないが、目視で降下して着陸するのはパイロットの操縦技術のいろはレベルだ。そのための援助施設としてPAPI(進入角指示灯)も備わっている。(PAPI:4-2を参照してください)
筆者のような「古い」時代、つまり現代のように様々な飛行援助施設や装置がほとんど備わっていなかった時代を知るパイロットからすれば、それができなきゃパイロットじゃないでしょ、というレベルの話ではあるのだ。ただ前章で述べたように、その環境がこの便のパイロットたちに何らかのストレスを与えていた、ということだけは間違いのないところであろう。
アシアナ214便に出された管制指示は、そのランウェイ28Lへの進入及び着陸許可だった。この便を操縦していたのは45歳の機長だが、彼は最近他の飛行機からボーイング777型機に機種移行してきてまだ間もなかった。そしてこのサンフランシスコ空港へは、以前の乗務機では30回近くの経験があるもののB777では今日が初めてで、会社が行う路線訓練という形でのフライトであった。一方右側の副操縦士席には48歳の先輩機長が路線教官として座っていたが、彼もまた教官としての経験は浅く、これが路線教官として初めてのフライトであった。
順調に飛行を続けてきた214便であるが、飛行機が着陸の準備を整えてサンフランシスコ湾に架かるサン・マテオブリッジを越えたあたりから乱れが生じてきたようだ。フライトレコーダーの解析によれば、着陸の2分ほど前に標準の降下経路から高く、しかも速度が多いことを教官から指摘された訓練中の機長は、修正のためにエンジンの出力を大きく絞り、機首も下げて降下率を大きくする操作を行った。
その後しばらくの間訓練中の機長は修正操作に没頭し、また教官である機長も操縦に関する指導に夢中で、降下経路や速度に対してあまり注意が払われなかったようだ。着陸40秒ほど前にはたまたまジャンプシート(コックピット内の補助席)に座っていた交代クルーの副操縦士が「Sink Rate!(降下率が大きすぎる!)」と後ろから声をかけたが、教官機長は何の反応も示さず管制塔との交信をしていたという。
飛行機が200フィート(約60メートル)まで降下した時になって初めて教官は「低い!」と叫んだが、その時には高度が低いだけでなく、速度もまた通常より20ノット(時速約37キロ)も遅い速度であったのだ。
その後高度30メートルあたりからエンジンの出力が若干上げられたものの回復には程遠く、高度10メートルでようやく教官が「ゴーアラウンド!(着陸のやり直すためにエンジンの出力を最大にし機首を上げる操作)」と叫んだが時はすでに遅かった。大きく機首を上げた姿勢で降下してきた214便は上昇することもできず、その胴体尾部を滑走路末端の護岸に激突させ、そのまま滑走路上を滑りつつ破壊され、滑走路から大きく外れた地点でようやく停止した。
その後高度30メートルあたりからエンジンの出力が若干上げられたものの回復には程遠く、高度10メートルでようやく教官が「ゴーアラウンド!(着陸のやり直すためにエンジンの出力を最大にし機首を上げる操作)」と叫んだが時はすでに遅かった。大きく機首を上げた姿勢で降下してきた214便は上昇することもできず、その胴体尾部を滑走路末端の護岸に激突させ、そのまま滑走路上を滑りつつ破壊され、滑走路から大きく外れた地点でようやく停止した。
この事故について事故調査報告書は、パイロットたちがオートスロットル(自動推力調整装置)を含む自動制御装置を十分に理解しておらず、そのことが不適切な操作につながったこと、そして計器着陸方式が使えず、目視で着陸しなければならない状況に対応する基本的操縦技倆が不足していたこと、という二点を主たる要因として指摘しています。
更に関連要素として、事故調査委員会の聞き取りにおいて、なぜゴーアラウンドの判断がここまで遅れたのか、という質問に対する各クルーの回答についても記述しています。
(教官機長)「ゴーアラウンドの判断は操縦担当である訓練中の機長が下すべきものと思っていた」
(訓練機長)「ゴーアラウンドという重大な判断は教官が行うもので、その人をさしおいて自分から言い出すなどということは考えられなかった」
事故調査報告書ではこの件について、重大な役割分担の混乱があったとしていますが、その遠因には「目上の人に対する敬意と服従」という、当事国特有の文化があるとも指摘しています。
国の文化という部分は差し置いても、対人関係の中での遠慮や誤解が、飛行の安全を確保するという最も優先すべき項目をも彼方へ追いやってしまうという現象が実際に起こってしまっていたというわけです。
本来一人の人間の弱点を克服するためのチームが、逆に折角持っている個人の能力を発揮できなくさせてしまった、という好例であるがゆえに紹介させてもらいました。どちらの機長ももし一人きりであったとしたら、おかしいと気付いた時点でさっさとゴーアラウンドしていたに違いないからです。
とにかく我々は「チームは万能ではない」ということにもまた気付いておかなければならないのです。十分な訓練と厳格な規律で統制すれば、例えば北朝鮮の兵士達のように一糸乱れない行進ができるようになるはずです。しかしクローンをいくら作っても発想の限界は同一です。各人の欠点を補い、様々な発想で幅を広げていけるのは、個々を尊重しそれぞれが自由にものを言える環境があるからなのだということを忘れてはなりません。
CRMはただチームの足並みを揃えるためにあるのではありません。各人が各人なりのスキルとリソースをタイムリーに発揮できることが、チームのパフォーマンスを高めるために最も重要であることに気付き、そのためにはどんな思考や行動を取らなければならないか、ということを知るためにあるのです。
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