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4-5-4 ミニマム サークリング

ANA583便

  飛行機は既に二神島上空の進入ポイントも過ぎて徐々に高度を下げていた。未だ雲の下には出ていない。そのため目の前は真っ白で、その奥行きも計り知れない。

  その日は東京ー松山の往復便乗務で、一緒に飛ぶキャプテンとは今日が初めての顔合わせであった。私はYS-11型機からこのB727に機種移行してきてから、間もなく3年目に入ろうかというところで、未熟なりにも2回の四季を経験して、自分では一丁前のジェット機コーパイになったつもりになっていた頃だ。
 
  「おはようございます!コーパイの村上です!よろしくお願いします!」
最初の挨拶はできるだけ元気に、そして大き過ぎない程度に明るい声で、とさんざん教えられてきた。
  「ん」
キャプテンは私には一瞥をくれただけで、にこりともせずにディスパッチャーの方に向き直った。
  「おい、松山だ。583便、頼むよ」
 
  あちゃー、今日は外れだな。私は心の中でがっくりと膝折れながらも、努めて平静を装ってウェザーブリーフィングを始めようとしているディスパッチャーの手元に視線を移す。そこには何枚かのウェザーチャート(天気図)がきちんと揃えて重ねてあった。天気図と言ってもテレビの天気予報で見るような地上天気図は天候の概要を見る程度で、主に見るのは高層天気図という、上空の決まった高度における風向・風速の解析図だ。上空を飛ぶ飛行機のためにあるような天気図だが、世界中で決まった時間に定期的に作成・配布される。

  ちなみにこの高層天気図から何がわかるかというと、もちろんいろいろなことがわかるのだが主として飛行中のタービュランス(擾乱:揺れ)の予測ができるのが大きい。よく使うのは850hPa(約5,000ft)、500hPa(約18,000ft)250hPa(約34,000ft)などで、要するに高層天気図は等圧面天気図(気圧が等しくなる高度を山の等高線のように表したもの)であって、更に簡単に言うと上空の風は等圧線にほぼ沿って流れているために、上空の風の流れが曲がったり乱れたりしている、ということがわかるのだ。そういうところではタービュランス(揺れ)に遭遇する可能性が高い。

  あるいは地上天気図の等圧線が込み合っているところは風が強い、というのと同じように等高線が込み合っているところは風が強く吹き、風の弱いところとの風速の差によって気流が乱れやすく、やはり揺れることが考えられる。従って上昇中や降下中のどのあたりの高度で揺れがあるか、巡航中どの地点付近で揺れそうかが予測できるということになるのだ。もちろん巡航時の追い風向かい風の程度を知ることもでき、所要時間や燃料の消費量と、揺れの程度とのトレードオフ、つまりバランスの取れる巡航高度をこの高層天気図によって決定することができるというわけだ。

PCによるフライトブリーフィング

  さらに付け加えれば、最近はこのような高層天気図をその場で見ながら検討するのではなく、高層天気などのデータを基にコンピューターが大気の断面図(特定の経度で大気をぶった切って、その断面を見せてくれる)や悪天予報図などを表示してくれるし、フライトログ上には各地点での予想風やシアインデックス(ある高度の上下1,000ft間での風速の差を示した数値。大きければ揺れが予想される)が記載されている。もちろん気象衛星による雲画像や赤外線解析画像など、実際に宇宙から眺めた雲の様子が手に取るようにわかる、まさに夢のような時代になっているのだ。


  ということで現在ではディスパッチャーによる対面のウェザーブリーフィングは姿を消し、パイロットたちはコンピューター画面とにらめっこしているうちにフライトブリーフィングが終了する。  当時は「ウェザーブリーフィングの鬼」などと呼ばれるほどの達人ディスパッチャーが各空港に一人ぐらいはいたものだが、すでにそんな「匠」はどこにもいなくなり、今は資料を準備しておいてくれるもののほとんど顔も合わせないまま、という状況がほとんどだ。もちろんパイロットの方も、特に若いコーパイたちはPCのマウスを駆使して、目にもとまらぬ速さで次から次へと衛星画像や赤外線解析図などをスキャンしていく。大まかな高層天気図一枚でその日のフライトの予想を立てる、などという匠の技は今や昭和 ノスタルジー以外何の意味も持たないのだろうか。

  さて話を元に戻そう。その日の松山の天候は一言でいえば悪天だった。雲が低く垂れこめている上に、湿った暖気が瀬戸内海に入り込み、海霧が空港の沖合に溜まっている状況なのだ。今後万が一北(海側)の風が強くなってくると空港がこの霧の塊に覆われかねない。  松山空港の場合ランウェイ14へのILS進入(海から山側への方向)であれば、シーリング(雲底高度)が200ft(約60m)以上で視程が1,000m以上あれば着陸は可能である。その時点での天候は900ftの高さの雲が全天を覆い、視程は5kmということなので全く問題はないのだが、気象通報ではこの先次第に雲高も視程も下がってくるという予報を出している。その上まずいことに海側からの風がさらに強くなり、時に10ノットを越えそうな様子なのだ。

  松山空港のILSアプローチは追い風が10ノットを越えると着陸することができない。その場合はミニマムサークリングといって、ILSアプローチからランウェイをインサイト(目視確認)した時点で進入コースから右に離脱し、ランウェイ14と平行におよそ1.5から2マイル離れたローダウンウインド を飛行したあと、ぐるっと180度旋回して反対側のランウェイ32に着陸するという方法しかない。

  サークリングは例えば片方が山地になっているなどして、滑走路の両側から直線進入ができないような空港に設定される着陸方式で、海と山に挟まれた平地が狭い日本のローカル空港ではおなじみの方式である。
  好天の場合のサークリングはノーマルダウンウインドといって、幅2から2.5マイル、高度1,500ftでランウェイと平行に飛行し、長方形のパターンを描くように反対側の滑走路にアプローチする。このやり方はパイロットにとっては余裕を持って着陸できて、しかも腕の見せ所ともなるある意味楽しみな進入着陸なのだ。

  しかしミニマムサークリングとなると話はまるっきり違ってくる。当然天候が悪い時に行う方式なので、厳しい状況の中で難しい操縦を強いられることになるのだ。松山空港の場合サークリングアプローチを行うためのミニマム(最低気象条件)はMDA(Minimum Descent Altitude:最低降下高度)570ft、VIS(Visibility:視程)3,200mと定められている。ILSに乗って接近し、このMDAまでにランウェイが視認できればライトブレイク(右に離脱)してローダウンウインドに向かうのだ。



  このMDAとは、空港付近の最も高い障害物(丘やビル、鉄塔など)から一定のクリアランス(間隔=余裕)を持てるように設定された高度である。つまりローダウンウインドから回り込みながら、滑走路に向けて適切な降下角で降りて行けると判断できるまでは、このMDAからは1mたりとも下がってはならない。

  その上ミニマムサークリングを行っている間は常に滑走路を視認できていなければならない。だから例えばローダウンウインドの途中で雲が低くなったり、あるいは視程が下がってしまったりすれば滑走路が見えなくなってしまうわけで、その時点で直ちにゴーアラウンド(着陸復行)しなければならないのだ。  さらにたとえ天候が変化しなくても、パイロットが高度を守れずに少し上昇してしまって雲の中に入ってしまったり、あるいは空港から離れすぎてしまっても滑走路は見えなくなってしまい、やはり直ちにゴーアラウンドしなければならない、ということになる。

松山空港への進入

  ANA583便は松山空港に向けて順調に飛行を続けていた。高度は22,000ft(およそ6,700m)だ。最近飛行機で旅行された方は、あれ、ずいぶん低いところを飛ぶんだな、と思われたかもしれない。ボーイング767以降、現在の最新の飛行機に至るまで、1時間を超えるような路線ではほとんどの場合35,000ft(およそ10,700m)辺りの高度で飛行する。これは飛行機は高度が高いほど燃料効率がよくなるのがその理由だが、ボーイング727のような第2世代と呼ばれるジェット機は、搭載されているジェットエンジンの性能が今ほど高くなく、上昇性能などを考え合わせるとほとんど30,000ft以上の高度を飛ぶことはなかった。大体からして当時のジェット旅客機は時間短縮が第一で、燃料消費量や騒音などは大して問題にもなってはいなかったのだ。

  これも余談になるが、とりわけB727は速度優先の設計思想で作られていた。「空の貴婦人」などと称される優美なスタイルは、空気抵抗を少しでも小さくする手段でもあったのであろう。主翼は小さく薄く、まるでジェット戦闘機を大きくしただけ、といった趣もあった。

B727-200

  さらに主翼が小さい、つまり翼面荷重が大きいということはとりわけ低速時の揚力が小さいということで、そのため離陸性能が悪く、また着陸時には不足する揚力を補うために、トリプルスロッテッドフラップと呼ばれる巨大な三段構えのフラップ(高揚力装置)をいっぱいまで伸ばさなければならなかったのである。この大きなフラップは揚力も増すが抗力(空気抵抗)もまた大きく、着陸時にはエンジンパワーを目いっぱい使う独特な操縦操作を会得しなければならなかった。

B727のファイナルアプローチとトリプルスロッテッドフラップ


  最新の飛行機は曲面ガラスを使うことによって空気抵抗を減らすとともに、パイロットの視界を目いっぱい確保している。しかしB727のコックピットウィンドウ(前面ガラス)は平面ガラスだったために、B727が飛行する、空気もそれほど薄くはない20,000ft台の高度では、この平らなウィンドウと窓枠の風切り音は本当にすごかった。しかもB727のクルーズスピードは360ノット。現在の国内線ではせいぜい320ノットくらいである。だから騒音は更に大きくなる。実際当時東京・大阪を二往復する乗務パターンが多かったのだが、4便飛んで帰るころには喉が枯れてしまっていることがしょっちゅうであった。おしゃべりは怒鳴るくらいの声でないとうまく通じないからだ。
  そのかわり着陸前にエンジンアイドルで降下している間は、速度も遅くしかもリアエンジンであるがゆえに、コックピットは静寂に包まれる。まるでグライダーで滑空しているような至福の時間を過ごせるのだ。 

  さて、今日の機長はどうも取っつきにくいなあ、と最初に感じてしまった自分としては、何とか接近を試みようと離陸した後も何回か話しかけてはみたのだが、やはりそっけない態度でまさに取り付く島もないといった風情は変わらなかった。そうなると仕事が手につかない、というかやる気があまり起きない。やらなければいけないことは一応するが、それ以上のことをこちらから持ち掛ける気にはならない。どうぞ勝手にやっててくれという感じだ。

  飛行機はすでに瀬戸内海上空に差し掛かり、いよいよ松山空港に着陸のための準備に入った。最新の気象情報は入手してある。やはり状況は悪くなりつつあり、現在シーリング(雲底高度)は700ftで視程は4,000mまで下がってきているらしい。使用滑走路はやはりサークリングのランウェイ32で、インサイト(滑走路の視認)状況はぎりぎりであるとのことだった。  機長にそう伝えるが「オーケー」の一言でそれ以上何も言わない。現在では着陸前のアプローチブリーフィング(進入着陸の諸元ややり方などを事前にクルーで確認するための申し合わせ)実施は規程で義務付けられており、やらないパイロットは誰もいないのだが、当時特に戦中派の機長には全くやらない人も多かった。コーパイとしては多分こうするんだろうな、などと想像しながら眺めているしか手はなかったのだ。


  松山空港は日本の国内空港なのだが、米軍岩国基地への離発着の米軍機を効率よく管制するために、広島湾から松山にかけての瀬戸内海上空空域は、米軍の管理下に置かれている。岡山を過ぎてしばらくすると、東京コントロール(東京管制センター)から岩国アプローチ(岩国進入管制)にコンタクト(通信設定)するように指示される。そこから着陸のために松山タワー(松山飛行場管制)とコンタクトするまでの間は、ずっと米軍管制官の巻き舌で早口の英語と付き合わなければならない。
  当時は羽田空港を離陸した後は米軍横田基地の管制官とコンタクトしなければならなかったし、那覇空港の出入りはすべて米軍嘉手納基地の管制官が取り仕切っていたのだ。不便だし時には危険さえ感じることもあるしで、政治的なことよりもなによりも、なんでアメリカ人の管制官は日本人がわかり易いようにゆっくりしゃべるとかしないんだろうかと、いつもみんなで愚痴ったものだ。

  その日も早口英語に四苦八苦しながらもなんとか進入開始までこぎつけたのが冒頭の情景である。松山空港のILS14の進入開始地点の真下にあるのが二神島で、すでに松山タワーとのコンタクトも済ませ、ILSアプローチとそれに続くサークリングアプローチの許可を得ている。風は350度(ほぼ北風)から14ノット、視程は4キロのままだがシーリングは600ftまで下がってきている。まさにぎりぎりだ。

失われた視界

  「One thousand!(1,000ft通過!)」のコールにも特に反応はない。実はこのようなコールアウトには単に高度の確認だけではなく、機長が正常な状態で操縦を続けているかどうかを確認する目的もあるのだ。途中で機長が意識を失ってしまい、そのため滑走路手前に激突してしまった、などという事故が実際にいくつか起こっている。これも現在ではコールアウトに対する返答を必ずするように義務付けられているのは言うまでもない。

  900ftを切ったあたりから下の海面がちらちらと見えてきたなと思った瞬間、目の前の雲の隙間からランウェイが姿を現した。「ランウェイ インサイト!(滑走路が見えました!)」
「よし」
  言うやいなや機長はスラストレバーをぐっと前方に押し出してエンジンの出力を上げながら操縦桿を引いてこれまでの降下を止め、続いて右旋回するために飛行機をバンクに入れる(傾ける)。飛行機は「シーリング」の名の通り雲の天井のすぐ下をくぐるようにして滑走路と平行のローダウンウインドに向かっていった。

  松山空港の周辺の海岸線近くには帝人をはじめとした大きな企業の工場が立ち並んでいる。飛行機はそんな工場の煙突から吐き出される煙の塔をすり抜けるように内陸側へ飛行を続けた。機長は左側のウィンドウから見えているランウェイに目を凝らしながら操縦しているはずだ。というのも右側のコーパイ席からは左側下方にあるランウェイは見えないのだ。代わりに目の前の計器のモニターをしつつ、前方の見張りに専念していた。


  そしてそろそろランウェイの反対側の端を過ぎようかという頃、いきなり目の前が真っ白になってしまった。あわてて計器盤の高度計に目をやると、高度は間違いなくMDAの570ftを指している。こんな天候の中でさすがキャプテンだな、と一瞬思ったがそんなことはどうでもいい。
「キャプテン、雲に入りました!」
「大丈夫だ」
  そう言っている間にも飛行機を今度は左に大きく傾けて最後の180度旋回に入っていく。このターンの半分、90度も回らないあたりから着陸のための降下を開始することになるのだ。しかし右席の自分からは滑走路はもちろん、見えていなければならない地表の田んぼや建物も全く見えない。

  どうするんだ!混乱する頭の片隅で冷静な自分が覚悟を決めた。
「キャプテン、ゴーアラウンドしましょう!」
「なんでだ!」
「見えません!」
「大丈夫だ!」
  もうそれ以上言葉を続けることはできなかった。飛行機は既に高度を下げながらほとんどランウェイに向き直るところまで旋回してきている。

  その時すぐ目の下にうっすらと田んぼの畝が見えた。あっ、と思う間もなく眼前にはまっすぐ伸びた松山空港ランゥエイ32が現れたのだ。二人とも一言も発することはなかった。どこか現実離れした感覚のまま、飛行機は滑走路端を過ぎ、やがて白くペイントされた接地帯標識を過ぎたところでちょっとした衝撃とともに滑走路にタッチダウンしたのだった。

  B727には未だオートスポイラーもオートブレーキも装備されてはいなかった。今の飛行機ならタイヤが滑走路に接地すると同時に、パイロットは何もしなくてもスポイラー(翼面上に立ち上がる抵抗板)とブレーキが自動的に作動するのだが、B727では接地の瞬間にまず手動でスポイラーレバーを一杯に引っ張り、続いて手をスラストレバーに戻して今度はリバース(逆噴射装置)レバーを手前一杯に引き上げる。そうしながらラダーペダルの床面に踵を置いていた両足をペダルの上部まで載せ替えて、思い切りよく踏み込むのだ。このラダーペダルの上部がブレーキペダルになっている構造は最新の飛行機もみな同じである。いずれにしてもこの3つの操作を目にもとらない速さで行うのがB727乗りの最後の仕上げであり、また見せ場でもあったのだ。

  飛行機は派手なリバース音を轟かせながら、ランウェイを3分の2ほど走ったあたりで通常のタクシースピードまで減速した。リバースレバーを元の位置まで戻し、ついでスポイラーレバーも元に戻しながら、機長がこちらをジロリと睨み付けて言った。
「見ろ!ちゃんと降りたじゃないか!」

  自分に返す言葉はなかった。やっぱり今日は外れだったな。頭に浮かんだのはそれだけで、後はただ決められたアフターランディングプロシージャー(着陸後に行う、いわば後片付けの手順。フラップを上げたりライトを消したりAPU:補助動力装置をスタートしたりする)を黙々とこなすだけだ。

エアステア

  583便は松山空港3番スポットに到着した。飛行機が停止すると同時にタラップ車が近付いてくる。その当時ローカル空港でボーディングブリッジが設置されているところなどどこにもなかったため、みなタラップを降りてからランプ内を歩いてターミナルビルに向かうのだ。雨の日には係員が乗客一人一人に傘を手渡してくれたものだ。

  さらにB727の機体最後部のN0.2エンジン(中央エンジン)下の胴体下部には、エアステアと呼ばれる引き込み式のタラップが装備されていたため、後部座席の乗客は後ろから乗降機することができてとても便利だったのだ。

  パーキングチェックリスト(エンジンシャットダウン後に行う最終チェックリスト)が終わった後、乗客の降機が完了するまでの間に、コーパイはその便の飛行時間などをジャーニーログ(機体に備え付けの飛行日誌)に記入しておかなければならない。
  その間、キャプテンは降機した乗客がターミナルビルまで歩いていく列をぼんやりと眺めている。
  何を考えてるんだろう。若造が生意気なことを言いやがって。俺ぐらいになれば下なんか見えてなくたってちゃんと降りれるんだよ。それとも、ちょっと無理したかな。やっぱり言われたときにゴーアラウンドすればよかったかな。いやいや、規則なんかよりお客さんをちゃんと降ろすことが一番だからな。。。なんて、そんなところかな。

  パイロットたちは便間の機体整備や機内清掃の間に、各空港のディスパッチルームまで出向き、飛んできた航路上の揺れの状況やアプローチの状況などを報告し、帰りの便のための気象情報や新しい飛行場情報などを受け取ることになっていた。(現在ではiPadを使用して帰りのフライトプランや気象情報を受け取ることができるため、ディスパッチルームまで行くことはほとんどなくなった)

  さてこれから二人でディスパッチまで歩いて行かなきゃならないな。会話もなく歩いていくのは気が重いな。この分じゃどうせ帰りの便の操縦もさせてはもらえなさそうだしなぁ。。。ま、仕方がない。あと一便の我慢だ。

※このストーリーは「心を伝えるコミュニケーション」の解説に使用するために、ある程度の脚色を加えたフィクションとしてお読みください。また飛行方式や最低気象条件等は当時のままの記述となっており、現在のものとは異なる部分があることをお断わりしておきます。

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