3-4-1 ストレスと人間
3-4-2 ヒューマンエラー
3-4-3 ヒューマンファクター
3-4-4 エラーコントロール
3-4-1 ストレスと人間
KLM機のザンテン機長はなぜ離陸の許可が出ていないにもかかわらず離陸を開始してしまったのでしょうか。パンナム機のクルーはどうしてC-3誘導路を曲がらずに直進してしまったのでしょうか。
そこには「ストレス」の存在があったのです。
事故調査報告書ではいくつかの問題点が指摘されています。その一つは長時間勤務と疲労の関係です。両便とも長い距離を飛行してきた上に目的地変更を余儀なくされました。国際線における外国でのダイバート(着陸地を目的空港から代替空港に変更すること)では、あらゆる重圧が機長にのしかかってきます。その上KLM4805便は日帰り国際線勤務に伴う、クルーの勤務時間制限の問題を抱えていました。
海上に浮かぶ島ならではの気象現象も大きな影響を及ぼしたはずです。特にテネリフェ島には高い山(スペインの最高峰テイデ山:3718メートル)があり、海岸線に近いロス・ロデオス空港付近は低い雲が発生しやすいという気候特性があったのです。この日も3キロメートルほどあった視程が事故の5分前にはわずか300メートルにまで低下してしまっていました。ジャンボ機のコックピットは建物の三階の窓ほどの高さがあります。その高さで地上視程300メートルともなれば、はっきり見える地面はほんの100メートル程度先までがいいところなのです。そんな状態で初めて訪れた空港を地上走行するストレスは半端なものではありません。
一方ロス・ロデオス空港の管制官側にもいろいろ問題点が指摘されています。もともとこの空港には地上レーダーは設置されておらず、特に視程が悪化した場合には無線交信によって飛行機の位置を確認しなければなりません。しかしそれをしていなかったばかりか、二機の飛行機を同時に滑走路に進入させてしまったのです。
またローカル空港が故に、ジャンボ機のような超大型機の扱いに慣れていなかったのか、取り付き角度が146度という鋭角の誘導路に曲がらせようとしたこと。さらに「三番目の誘導路」や「オーケー」など、管制用語としては不適切な言葉が互いの意思の疎通を阻害したことなどが挙げられています。
人間は不安定なものを嫌い、落ち着きのいいものを求める性質があります。たとえば次の図を見ていただきましょう。これは実はどっちつかずの無意味な文字列なのですが、TとEに挟まれていればH、前後がCとTならA。おまけに2つの単語の並びからしても、これを「THE CAT」と読んでしまうのはごく自然なことです。居心地がいいように脳が勝手に補正して、納得できるようにしてしまうのです。とりわけストレスが高まった状況下では、早く納得して落ち着きたいという自然な欲求が、この現象を加速させます。
テネリフェのクルーたちにもこれと同様のことが起こっていたに違いありません。
一刻も早く帰りたいと焦るザンテン機長にとっては、ようやく手に入れた飛行経路の許可を、離陸の許可が来たと脳が勝手に書き換えてしまったのかもしれません。一方の副操縦士は、本当に離陸してもいいのかという不安を、交信の最後に「我々は今から離陸する」と付け加え、自分を納得させることで払拭しようとしたのです。
パンナム機のクルーも同じように、霧のため視界がほとんどない状態で、曲がり切れないかもしれない誘導路を管制官が指示するはずはない、きっとこの次の誘導路に違いないと勝手に納得してしまったと考えられます。
ゆっくりと冷静に考えれば疑問もわきそうなものだと思われるかもしれませんが、高いストレスにさらされた人間が、自分を納得させ心の平衡を保とうとするのは、いわば人間の自己防衛本能なのです。
あるいはこれをある種の錯覚と捉えてもいいかもしれません。ご存知の通り錯覚は人間の持つ自然な特性であって、これから逃れる術はありません。しかも単に錯覚といっても目の錯覚ばかりではなく、耳の錯覚もあれば脳の錯覚もあるのです。さらに思い込みや偏見といった状態もまた、脳の錯覚のひとつです。この錯覚は、正常な判断を狂わせるという意味では、人間に対してストレスとして作用します。
パイロットの世界にはバーティゴ(Vertigo)と呼ばれる現象があります。これは日本語では空間識失調と呼ばれるもので、様々な症状の出方はありますが、要するに自分の姿勢や位置関係などが全く認識できなくなる状態を言いいます。 たとえば月の出ていない夜間、長時間星だけを眺めて飛んでいるうちに、星と地上の明かりが混然一体となってどっちがどっちかわからなくなったりすることがあります。そのうちだんだんと飛行機が傾き始め、ついには逆さま、つまり背面飛行の状態になってしまい、気付いたときには回復することもかなわず墜落、といった話は昔よく聞かされたものです。そこまで極端な話ではなくても、滑走路に上りや下りの傾斜がある空港は数多いのですが、たとえば上り勾配の滑走路に向かって着陸しようとする時は、自分がひどく高いところにいるような気がして思わず急降下したくなるものなのです。
そんな時パイロットはどうしているのでしょうか。それはバーティゴにしろ、このような目の錯覚にしろ、まずはそういうものなのだということを知った上で、自分の感覚に頼らず計器の指示だけを見ることによって、その魔の手から逃れる努力をしているのです。
このように錯覚が人間の特性だとはいうものの、これは錯覚なんだからと自分に言い聞かせることによってその影響、つまり錯覚に導かれるままに誤った判断や行動をしてしまうことを回避できるのも人間なのです。しかしそんな高度なテクニックの発揮は、他に大きなストレスが存在したりする状況ではほとんど不可能になってしまうのが普通でしょう。 人間の能力の限界は思ったよりずっと低いところにあるのです。
3-4-2 ヒューマンエラー
「人間は必ずエラーを犯すものである」あるいは「エラーをするからこそ人間なのだ」などとよく言われますが、人間の特性の中に「エラーを犯す」という特性があるわけではありません。その人間にとってごく自然に行動した結果が、たまたま外部の環境や要求に合致しなかったり不具合があったりした、つまり周囲の期待通りではなかった時、人がそれを“エラー”と呼んでいるに過ぎないと考えるべきなのです。
前項で述べたように、人間はその業務遂行のための十分な技能を有していたとしても、周囲を取り囲む環境から様々なストレスを受けることによって、そのパフォーマンス(能力)が大幅に低下してしまいます。
次の図を見ていただきましょう。これは周囲を取り囲んでいる様々なストレスが作用することによって、人間がもともと持っている特性のいずれかが表面に顔を出します。そして人間が一旦そのような特性に囚われてしまうと、そこから抜け出すのは非常に難しく、その状態に陥ったままで行った判断や行動が周囲に受け入れられなかった時、人はそれを「エラー」と呼ぶ、という構図を示しています。
この図を見ればエラー発生のメカニズムは大体お分かりいただけると思いますが、最後のエラーと結果事象とがエラーチェーンによって結ばれているところに注目してください。後の項で詳述しますがエラーそのものは危険因子であっても危険そのものではありません。一つのヒューマンエラーと、それが起点となって発生した結果事象(事故やインシデントなど)とはイコールではないのです。結果事象だけで物事を判断したり、エラーを犯した人間を処罰してもその大元は何も変わりません。再発防止の役には立たないことがほとんどです。
ちなみにこの図を結果事象から逆に辿っていけば、関与した人間の特性やさらされたストレス要因を特定することができるはずです。これがエラー防止対策を発見するための一つの道筋です。
ついでながら、エラーには偶発的エラーと必然的エラーという二つの種類に分けることもできます。偶発的エラーとは、今まさにここで述べているように、周りを取り囲む環境からのストレスが、人間の持って生まれた特性や限界に作用して発生する、いわば不可避なエラーであり、本書ではヒューマンエラーといえばこの偶発的エラーを指していると考えて頂いて構いません。
一方必然的エラーとは、本人の基本的な能力不足や経験不足、姿勢や意欲の欠如による準備・勉強不足、資質や素質の不足あるいは法・規則類からの意図的な逸脱などに起因するエラーであって、必然的エラーはその対応策が偶発的エラーとは根本的に違うことに留意すべきです。従って先ほどのエラー発生の図の中でも、これらの要因は人間の特性ではなく、人為的なストレス要因の項目に分類してあります。
3-4-3 ヒューマンファクター
ここで「ヒューマンファクター」にも少し触れておきましょう。ヒューマンファクター(Human Factors)とは人間とシステムの関係を最適化することによって、トータルのパフォーマンスをより高めようとする学問です。近代社会を支える様々な装置類は人間と機械(道具)の組み合わせ(これをマンマシンシステムと呼ぶ)によって成り立っています。人類は道具を使うことを覚えた時から他の動物たちと袂を分かち、ひたすら進化の道を歩み始めたわけですが、その後道具もまた様々に進化し多様化していきました。中には人間の本来の能力を顧みず、勝手に進化してしまった機械に人間がついて行けず、様々な問題を引き起こしてしまった例も少なくはありません。そんな中でシステムを人間中心の視点で捉えることによって、人間本来の能力を最大限引き出し、結果としてシステムのトータルパフォーマンスを高めることを目指している学問がヒューマンファクターなのです。
もちろん人間のパフォーマンスに影響を与える要素は機械や道具ばかりではありません。例えば仕事場の照明や気温、騒音などの物理的環境が劣悪であれば能率は大きく下がりますし、長時間労働や低賃金は人間のやる気を奪い、手順や規則の混乱は事故につながりかねないエラーを誘発するかもしれません。更に人間関係、とりわけ職場の人間関係もまた人間のパフォーマンスに大きな影響を与えます。例えば悪い上司に当たった部下のパフォーマンスは最悪のものになるに違いありませんが、逆に良い上司に恵まれた場合は隠れた才能が開花したりすることだってあり得るはずなのです。
このヒューマンファクターの概念をあらわしたコンセプトモデルがあります。それが次のシェルモデル(SHELL Model)です。
このシェルモデルは、中心の人間(Liveware:ライブウェア)の周りをハードウェア(Hardware:機械や道具類等)、ソフトウェア(Software:手順や規則、組織等)、環境(Environment:騒音や温度、照明等の物理的環境)、そして関わりを持つ全ての人間たちを意味するもう一つのライブウェアが取り囲んでいる状態を表しています。それぞれの要素と中央の人間との接点(これを「インターフェース」という)がぐにゃぐにゃと不定形をしているのは、状況変化によってそれらから受ける影響が常に変動することを表現しているのです。
このシェルモデルは、人間を取り囲むあらゆる事物およびそのインターフェースの出来不出来が様々な形で中央の人間に影響を及ぼし、そのパフォーマンスを増加させたり減少させたりするという図式を視覚化したモデルです。もちろん悪いストレスによってパフォーマンスが低下すれば、それは結果としてヒューマンエラー発生の要因となるわけです。
このシェルモデルを見れば、ヒューマンエラー対策は人間を取り囲むあらゆる要素の一つひとつを点検することから始めなければならない、ということがよくわかっていただけるでしょう。
3-4-4 エラーコントロール
エラーコントロールとは、エラーをさせないように人間をあれこれ規制したり管理したりすることを意味するわけではありません。エラー発生のメカニズムを熟知し、可能な限りその発生を抑えるとともに、たとえエラーが発生したとしても、その影響を速い時期に遮断して結果事象につなげないようにすることを言います。そして結果事象とは、例えば航空の場合では事故やインシデント、その他の規程逸脱事象など安全を脅かす恐れのあるすべての事象を言います。
エラーコントロールはストレスマネジメントとエラーマネジメントという二つのマネジメントで成り立っています。そしてストレスとエラー各マネジメントには左の図のように、ストレスの排除とストレスの認識・回避、そしてエラーマネジメントはエラーの防止とエラーの発見・回復という要素が含まれます。
JR西日本福知山線脱線事故
それではまず一つの実例を見ておきましょう。
読者の方々は2005年4月に起こったJR西日本福知山線脱線事故を覚えているでしょうか。適正速度を大幅に超過した高速で尼崎駅手前の急カーブに進入した上り快速電車が、カーブを曲がり切れず脱線、線路わきのマンション一階に激突して、107名(乗客106名、運転士1名)が死亡、549名が負傷したあの大事故です。
この事故の最大の要因とされたのは、日頃から運転士のエラーに対して、日勤教育という厳しい処罰を与えてきた企業体質でした。それ以外にも余裕のないダイヤ編成や、ATS(自動列車停止装置)が設置されていなかったなど、いずれも運転士のパフォーマンスを必然的に低下させるような環境を放置していた会社の責任が、事故調査委員会から強く指摘されたのです。
この事故もまた先に紹介したシェルモデルに当てはめてみれば、典型的なヒューマンエラー事例であることがわかると思いますが、シェルモデルは事故が起こった後で活用したところで何の意味もありません。普段からヒューマンファクターを理解し、シェルモデルを活用して仕事環境の点検さえしていれば、こんな悲惨な事故は起こらなかったに違いないのです。 この「ストレスの排除」がまず日頃から行っておくべき「事前の」エラーコントロールです。
ところでここまで「エラーは不可避」と述べてはきましたが、これはあくまでも人間が「自然にまかせて何もしなければ」という前提での話です。人間は自然にまかせていれば、その持って生まれた特性や傾向によって、エラーを犯してしまうことを避けることができないのです。
ということは自然ではない何か、つまり様々な工夫やちょっとした方法によってはその特性に陥ることなく、あるいは陥ったとしてもそこからうまく脱け出すことによって、エラーの発生を防ぐことができる可能性があるということになります。
これは、人間の特性は間違いなく誰もが持っているものですが、その特性を熟知した上で他のリファレンス、例えば機械の指示や他の人間の冷静な眼などを信頼することによって、その特性の罠から抜け出せる可能性があるということを意味します。またパニックや意識レベルの低下などは自分で自分をコントロールする、つまりセルフコントロールの術を身に着けることによってその危機を回避することができるかもしれません。
このようにエラーを犯してしまう前になんとか踏み止まり、判断や行動を適正な範囲に収めることが、エラーマネジメントのうちの「エラーの防止」の段階というわけです。
チェーンオブエラー
そしてエラーコントロールの最終段階のために、まず理解しておかなければならないのは次の事実です。
エラーは危険因子ではあっても危険そのものではなく、「エラーイコール事故」でももちろんない
まずは左の図をご覧ください。これはチェーンオブエラー(エラーの連鎖)という概念を絵にしたものです。
たとえば飛行中のクルーが何らかのエラーを犯したとします。すぐに気付いて処理すればそれで終わりですが、エラーに気付かないうちに状況変化や新しいイベント(出来事)が起こったり、あるいは次のエラーがあったりすると状況が悪化するかもしれません。それでもまだ気付かない、あるいは処理を誤ったり遅れたり(これもエラーですが)するとさらに状況は悪化します。この連鎖がしばらく続きついに正常な状態を保てなくなった時点を過ぎれば、後は事故が待っているだけです。
ということは、この不可避点までの間にこの連鎖を断ち切ることができれば、少なくとも事故は防げる、ということになりますよね。実際過去の事故例を見てみても、たった一つのエラーで即事故に至ったという例はほとんどありません。「ここでなんとかしておけば」という瞬間をいくつも見逃した末に不可避点を超えてしまったものがほとんどなのです。第一章で紹介したエアフロリダ90便の事故の経過をもう一度思い出してみてください。
エラーコントロールの本質
このように突然の状況変化や偶発的なヒューマンエラーがストレスとなって、人間のパフォーマンスを低下させる。そしてそのパフォーマンスの低下がエラーの連鎖の早期遮断を阻害し、ついには致命的なエラーに至る、というパターンがどうやら「減らない事故」要因の構図になっていることはほぼ間違いなさそうです。
そしてこのエラーの連鎖を早期に断ち切って、ヒューマンエラーを致命的エラーまで成長させないように、あるいは結果事象に結び付かせないようにするのが「事後の」エラーコントロールというわけなのです。
いずれにしてもここで一番重要なのは、エラー発生の仕組みがどうのということではなく、人間とは切っても切り離せないヒューマンエラーとどう向き合うのか、という姿勢です。ただエラーそのものを忌み嫌っているばかりでは何も解決しないのです。 あらためて言いますが、エラーコントロールとはエラーをさせないように人間をあれこれ規制したり管理したりすることではありません。エラーの発生が不可避なものであるという前提に立って、エラー発生の可能性を最小限にとどめるために、職場の環境や風土の整備を常に怠りなく行うとともに、やむなく発生してしまったエラーの影響を最小限にとどめ、「何事もない」状態を継続的に得るための方策を考えることがエラーコントロールの本質なのです。