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プロローグ

  手作りのライトフライヤー号に乗ったライト兄弟が 、キティホーク近郊の丘の上から初めて空に舞い上がってからまだ110数年しかたっていません。しかし現在世界中で運航されているジェット旅客機だけでもほぼ2万機を数え、西暦2033年には3万6千機を超えると予想されています。

  これだけたくさんの飛行機が世界中で飛び回っているのに、よく落ちないね。
  飛行機ってなんであんな重いものが空を飛んでいられるの?

こんな疑問を持ったことのある方々も多いことでしょう。 現在のような近代的な商業航空が盛んになり始めたのは第二次世界大戦以降でまだわずか70数年のことですが、この間幾多の大事故が起こり、膨大な、と言っても過言ではない数の人命が失われました。
 とはいうものの、飛行機に乗っている間に事故に遭遇する確率は、例えば自動車事故に遭う確率に比べれはるかに小さい、といった統計もまた何度か目にしたことがあるはずです。

飛行機はどうして落ちないのか

  この単純な疑問に答えるのは簡単なことではありません。特に学術的に答えようとすれば。
  しかしパイロットから言わせてもらえば簡単です。

「十分な訓練を受けているし、常に注意と努力を怠りませんから」

  やや一方的な感もあるでしょうが、そうなんだから仕方ありません。最新鋭の旅客機の最新装備もパイロットが正しく操作しなければただのお飾りでしかなくなってしまいます。なんせ空中に浮かんでいる飛行機は「板子一枚、下は地獄」状態で、ちょっと止まって考えよう、などということも不可能。誰かの助けを借りたくても誰も来てはくれない。まさに孤立無援で奮闘しているのがパイロットなのです。
  というわけで、飛行機はどうして落ちないのか。その答はパイロットが「落ちない力」を持っているから。そしてこの「落ちない力」とは何か、さらにこの「落ちない力」をコックピット以外でも活用できないか、というのがこのサイトのテーマです。

ということはパイロットはスーパーマンなのか?

  とんでもない。パイロットは決して特殊な人間でもなんでもありません。その置かれた環境が特殊なだけなのです。もともと人間は沢山の弱点を抱えています。そして最もその弱さをさらけ出さざるをえないのがコックピットという環境です。
  コックピットとは、通常と比べてはるかに多量の情報と激しい状況変化が短時間に交錯する、いわば空の上の戦場です。そんな厳しい環境の中で、いかなる想定外の事態にも冷静かつ迅速に、正確な判断を下し続けなければならないのがパイロットなのです。しかもそこで起こるエラーの結果はご存知の通り、何百人の命が一瞬にして奪われる大惨事につながる可能性を秘めているのです。

  いやいや、自分の仕事はそんな大層なものじゃない。パイロットとは全然違いますよ、とおっしゃるそこのあなた。違うんです。まったく一緒なんです、同じ人間だから。
  環境が厳しいから、あるいは結果が重大だからエラーの種類が違う、質が違うと考えるのは間違いです。どんな場所で起こったものでも、最初のエラーはちょっとした思い違いであったり勘違いであったり、あるいはつまらぬ手抜きであったりと、人間である限り全く変わるところはないのです。例えば原子力発電所でのバルブの閉め忘れなどといった不祥事のニュースに、なんで!とあきれたことが一度はあるでしょう。もちろんコックピットも例外ではありません。
  とはいえパイロットたちはそんな環境であるがゆえに、生き抜くための様々な知恵をその経験の中から習得し蓄積する必要がありました。もちろん航空界全体でも、そんな人間の弱点を克服するための様々な研究が早くから進められてきたのです。
  つまり、パイロットの「落ちない力」はそんな中から自然に形成された力というわけです。

落ちない力

  本書の中では、この「落ちない力」を発揮できなかった、あるいは失ってしまったがために引き起こされた事故の例をいくつか紹介しています。そしてその逆に多数の人間の命を救った例もです。
  あの日本航空123便が、御巣鷹の尾根に520人の尊い命とともに散った日から、すでに35年の月日が流れました。この間の技術の進歩は目覚ましいものがあったはずですが、それにもかかわらず航空事故発生率はほそれほど変わってはいません。昨年もボーイング737MAX型機の連続墜落事故をはじめとして、いくつかの大きな事故が起こってしまいました。

  そんな傾向を見ただけで、パイロットたちの「落ちない力」が失われつつあると結論付けるのは早計でしょう。しかし、テクノロジーの伸びと事故率の減少がリンクしていないとなれば、そこに何かある、人間の側に何かがある、と考えるのが妥当ではないでしょうか。
  この「落ちない力」、言い換えれば人間の弱点を克服する力を正当に評価するとともに、更にその力を伸ばせる環境を作っていければ事故は減らせるはずです。反対に今後コスト競争にかまけ、あるいは自動化だけに寄りかかってこの力が本当に失われていくような状況になれば、必ず事故は起こる、いや起こらざるを得ないはずなのです。

  といろいろ書いてきましたが、もちろん空の安全を担っているのはパイロットだけ、などと言うつもりは毛頭ありません。運航の安全は整備士、航空交通管制官、運航管理者など運航に直接かかわる人々にとどまらず、空港施設の管理者、航空機製造に関わる技術者、気象予報官、航空貨物の積載作業員から空港の保安要員などなど、数え上げればきりがないほど多くの人々の努力がすべて積み上げられた結果です。そしてそのピラミッドのてっぺんにパイロットが座っているというわけです。もちろんえらいからてっぺんなのではありません。構造的にそうなだけなのです。

  しかしそのパイロットが力不足でエラーを犯せば、それらすべての人々の努力は一瞬にして水泡に帰してしまいます

だからこそパイロットの責任は重大なのです。

  筆者は学者でも研究者でも何でもない、ただの(元)パイロットです。 しかしエアラインパイロットとして40年を超えるキャリアと、総飛行時間2万時間という豊富な「経験」を持っています。そんなパイロットしか知り得ない、経験から編み出した法則と方法論を世に紹介することが自分の務めだと思い、思いつくままに書き綴ったものが本書です。

  なお、 本書の中で紹介している過去の事故例については、当然事実に基づいているものではありますが、一般の読者でも分かりやすいように専門用語をできる限り平易な言葉に置き換えるとともに、内容についても若干の省略や手直しを行っていることを予めお断りしておきます。

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