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1-1 ポトマック川の悲劇

1-1-1  吹雪のナショナル空港

  アメリカの首都ワシントンに流れるポトマック川の河畔は、毎年3月中旬になると日米友好の架け橋ともなっている見事な桜が咲き誇り、全米桜祭りとともに日本でも知らぬ人もいないほどである。そのポトマック川で大変な惨劇が繰り広げられたのは1982年1月13日の夕刻であった。

  エアフロリダ90便。歴史的寒波に襲われていたワシントン・ナショナル空港(現在ではロナルド・レーガン・ワシントン・ナショナル空港に改名されている)に、温暖なフロリダから飛来したエアフロリダのボーイング737型機は、猛吹雪による積雪によって閉鎖されていた滑走路の除雪作業が終了するのを今や遅しと待っていた。
  その日の昼すぎにフロリダから到着したエアフロリダ機は、折り返しタンパ経由フォートローダーデール行きの90便として就航することになっていた。しかしワシントン空港の滑走路除雪作業は大いに手間取っており、エアフロリダ90便の予定出発時刻からはすでに1時間半ほど経過していた。  その間90便は機体に対する防除氷作業を済ませていたはずであるが、正式な記録は残っていない。

雪のナショナル空港
雪のナショナル空港


  飛行機は主翼上面の曲線に沿って流れる空気によって得られる負圧(マイナスの圧力、すなわち上方へと吸い上げる力)によって揚力を発生し空中に浮かび上がることができる。従って翼上面に雪や氷が付着するとその空気の流れが阻害され、十分な揚力を得られないことが起こりうるのだ。  90便の防除氷作業が正確に行われていたかについては疑問が残る。しかし現在使用されている防除氷剤と当時とではその組成も違っていただろうし、あらゆる技術が完成されていたとは未だ言えない時代のことである。ましてや温暖なフロリダを基地とするエアフロリダのパイロット達が、その辺りのことに無頓着であったのは無理からぬことかもしれない。

  いずれにしてもエアフロリダ90便はようやくのことATCクリアランス(目的地までの飛行経路を飛行するための管制承認)をもらうことができた。飛行機は何をするにしてもまずは管制機関から承認をもらわなければならない。ATCクリアランスをもらったら次はエンジンスタートするためのクリアランス(許可)も必要なのだ。ほとんどの国際空港の場合、プッシュバック(パーキングスポットからタクシーウェイまで押し出す作業)クリアランスとエンジンスタートクリアランスは、リクエストに応じて同時に許可される。

  プッシュバッククリアランスを得たエアフロリダ90便の前車輪に取り付けられたタグ車(牽引車)のエンジンがうなりを上げた・・・が飛行機は全く動かず、タグの車輪は空しく空回りするだけだった。というのもこの大雪にもかかわらずタグ車の車輪には滑り止めのチェーンもなにも巻かれてはいなかったのだ。業を煮やした機長は、俺に任せろ!とでも言わんばかりに、エンジンの逆噴射で飛行機をバックさせようと、リバースレバーをいっぱいに引き上げた。
  ジェットエンジンは排気方向を後ろ向きから前向きに変えることによって、後ろ方向への推進力を得ることができる。もちろんこの逆噴射は着陸後のブレーキを補佐するためにしか使うことはないのだが、機種によってはバックができると言われているものもある。ただ停止した状態でリバーススラスト(逆推力)を使用すると、吹き上げられた地面の小石などが再びエンジンの空気取り入れ口から吸い込まれ、エンジン内部を損傷する危険があるため通常は推奨されていない。

  エアフロリダ90便は機長の逆噴射の甲斐もなく後方へは1ミリも動きはしなかった。というわけで結局はタグ車のタイヤにチェーンを巻き付ける作業をじっと待つしかなくなってしまったのだ。
  しかしこの時、逆噴射によって巻き上げられた水分を含んだ大量の雪がエンジンに吸い込まれ、空気流入口付近やタービンブレード(空気圧縮羽根)にしっかりとこびりついたことに気付いた人間はいなかった。

  ようやくタクシーウェイ(誘導路)まで押し出されたエアフロリダ90便は、タグ車を切り離し管制塔のグラウンドコントロール(地上管制席)からタクシークリアランス(地上走行許可)を貰うことができた。がしかし、滑走路まで続く誘導路は離陸の順番を待つ飛行機たちですっかり大渋滞の様相を呈していたのだ。渋滞の最後尾についたエアフロリダ90便に離陸の許可が与えられるのはまだまだ先の話だ。そんな時はジタバタしても仕方がない。社内の噂話や家族のことや、新しく買い換えた車の話で時間を潰すにかぎる。
  そんなパイロットの習性に従って他愛のないお喋りを続けていた二人ではあるが、心の中のどこかに、いまだ激しく降り続く雪に対する不安が宿っていたに違いない。実は後日コックピットのボイスレコーダーの解析によって、二人が会話する声のトーンに微妙な緊張感や不安感が含まれている、という指摘がなされている。
  そんな心の底の不安感を拭うためか、機長はちょっとした思いつきを試してみた。エンジンの出力を少し上げて、前方に停止している先行機の尾部と自機の鼻先がくっつかんばかりのところまで飛行機を進めたのだ。驚く副操縦士に機長は言った。

  「どうだ。これで翼の上に積もった雪も、前の飛行機のブラスト(ジェットエンジンの排気)ですっかり吹っ飛ぶぞ。」 
「なるほど。そりゃいい考えだ。しかも排気の熱で氷も溶けるって寸法だ。さすがですね、キャプテン。」

  通常誘導路上で飛行機が並ぶ場合、最低でも一機長、つまり飛行機一機分の距離をおくべきだと言われている。それは前方の飛行機のブラストが巻き上げる小石などの異物を吸い込むことによって、エンジン内部に損傷を受けるのを防ぐためである。ましてやこの日は猛吹雪で誘導路上にも数センチの積雪があったのだ。先行機のブラストによって派手に巻き上げられた湿った雪は、エアフロリダ90便の機体各所に付着するとともに、再びエンジンの中に音もなく吸い込まれて行った。そして先行機の排気の熱は90便の機体に付着した雪を溶かし、そして更に固く凍り付かせる結果につながってしまったのだ。

1-1-2 運命の離陸

  ようやくエアフロリダ90便に離陸の順番が回ってきた。(管制官)「Air Florida 90, Wind 200 Degrees 9 Knots, Runway 19, Cleared for Takeoff」(エアフロリダ90便、滑走路上の風は200度から9ノット、滑走路19からの離陸を許可します)
(副操縦士)「Cleared for Takeoff. Air Florida 90」

  副操縦士のリードバック(復唱)に親指を軽く立てて了解の合図をした機長は、あらかじめ添えてあった右手にぐっと力を込めて、スロットルレバーを素早く前方に押しやった。エンジンのうなりがその勢いを増し、エンジン計器の針が跳ね上がる。副操縦士が素早くスロットルレバーを微調整して離陸に必要なEPR(エンジン圧力比:エンジンの推力を表す)にセットする。飛行機は豪快に離陸滑走を開始する・・・はずであった。

  機長が「今日は寒い。本当に寒い日だ」とつぶやいた。  その時副操縦士は何かが変だと感じていた。何かがいつもと違うのだ。しかしそれが何なのか、彼には自信をもって口に出せるほどの確信はなかった。「おかしい」「なんか変だ」  そんな副操縦士の呟きを機長の声が遮った。「いや、まともだよ。80ノット!」

B737のEPR計器
B737のEPR計器

  この便の離陸推力セッティングはEPRの値で2.04であり、副操縦士はスロットルをその値にきちんとセットしたにもかかわらず、飛行機がいつものように加速されないような気がしたのだ。その上その他のエンジン計器、つまり回転計や燃料流量計などの値が、やはりいつもとなんとなく違っている。  しかし機長は、この日のような極端に低い気温がエンジンの性能に影響を及ぼしている(気温が低い方がエンジンの効率が上がるために、指示される値が普段より小さくなる)からだと信じて疑ってはいなかった。

「ブイワン!」(V1:離陸決心速度)
「ブイアール!」(Vr:引き起こし速度) 
「ブイツー!」(V2:安全離陸速度)
   副操縦士のコールアウトに合わせて機長がゆっくりと操縦桿を引く。いつもならゆっくりと機首が持ち上がっていく。  ところがこの日は違っていた。機体に付着した雪と氷のせいで、90便の空力的特性はすっかり違うものになってしまっていたのだ。
  通常飛行機は出発時に機体の重量バランスを計算し、空中に浮かび上がった時に最も安定性が高くなるようなトリム(機体の安定性を保つためにエルロンやエレベーターなどの動翼を微調整するための装置)セッティングを行った上で離陸を開始する。しかしエアフロリダ90便は前述のとおり、機体各所を覆う雪と氷によってそのバランスは完全に狂ってしまっていたのだ。

  空中に浮かび上がるやいなや、90便は急激なピッチアップを開始した。あわてて機長はピッチ(機首の上向き角度)を下げるために操縦桿を強く前に押したが、それと同時にスティックシェカー(操縦桿に設置された失速警報装置)が鋭く作動し始めたため、機長はさらに機首を下げる操作を余儀なくされたのだ。
  エンジンの出力が一定であるならば、速度と高度はトレードオフの関係にある。速度を優先しようとすれば高度を犠牲にせざるを得ず、高度を獲得しようとすれば速度は低下し、ついには失速に至ってしまうのだ。  エアフロリダ90便はまさに前門の狼、後門の虎に追い立てられた哀れな子羊でしかなかった。失速ぎりぎりの速度を保つ間に高度はじわじわと下がり始めていた。

「500fpm(1分間に500フィートの上昇率)さえあればいいんだ!」
「ちょっとだけ上昇したぞ・・・あー、だめだ!」
「高度が下がってる!」
「分かってる!」

  離陸滑走中(といっても90便の場合、通常の倍近い距離を滑走してからのことなのだが)稼いだ速度は離陸直後の急上昇で使い果たしてしまい、ある程度以上速度が低下した状態で過度に上を向いた主翼は、すでに揚力よりも抗力の方が大きくなってしまっていたのだ。  90便は次第に高度を失っていき、ついにポトマック川にかかる14ストリートブリッジに尾部をこすりつけるようにぶつかった後、その勢いを保ったまま氷結した川面に頭から突っ込んでいった。

ポトマック河畔の救助現場
ポトマック河畔の救助現場

  この事故で乗客乗員の74名が死亡、4名の乗客と1名の客室乗務員が重傷を負いながらも生還した。また、夕刻のラッシュ時の渋滞のために橋の上で停止していた車両数台が事故に巻き込まれ、4名が命を落とし5名が重軽傷を負った。

  ポトマック川に突っ込んだエアフロリダ90便は、厚く張りつめた氷の下に潜り込むような形で水没、直ちに乗客の救助活動が始まったが、冷たい水と砕けた氷の塊が障害となり、作業はなかなか捗らなかった。また車が多く行き交う街中の事故ということで大勢の人々が見守る中、水の冷たさからせっかく届いた救助ロープを乗客が掴み続けることができず、ついには力尽きて再び水中に沈んでいくといった悲惨な場面が、詰めかけた報道各社のテレビカメラに捉えられ、その映像が全世界に配信されることになったのである。

1-1-3 何が起きたのか

  当然のことながら、事故直後からNTSB(米国国家運輸安全委員会)による事故の詳細な調査が始まった。以下はNTSBによる事故調査報告書の概要である。


① エンジンアンチアイス(エンジン内部に氷が付着するのを防ぐ装置)スイッチがオフのままであったこと
  これにより、EPR(エンジン圧力比)測定のためのインレットセンサー(コンプレッサー入口に設置されているセンサー)の開口部が氷雪によって閉塞、その結果コックピットの計器には誤ったEPRの値が表示された。

  前述したようにこの日の離陸に必要なEPRは2.04であったにもかかわらず、事故後の試験によれば実際のEPRは1.70程度であったであろうと推定されている。つまり実際には十分な離陸出力が出ていないにもかかわらず、副操縦士はスロットルレバーを途中で止めてしまったわけだ。従って、離陸直後にスティックシェイカーが作動した際、スロットルレバーを前方いっぱいまで押してエンジン出力を「全開」としてさえいれば、エアフロリダ90便は墜落を免れたであろうと結論付けているのだ。

   何故エンジンアンチアイススイッチがオフのままだったのか。実は真相ははっきりしてはいない。チェーンを取り付けたタグ車によってプッシュバックされた90便は、再度エンジンをスタートしたのだが、その後のアフタースタートチェックリスト実施中機長は、副操縦士の「エンジンアンチアイス」のチャレンジ(項目の読み上げ)に対し「オフ」と答えている。通常外部気温が摂氏+10度以下であって、目に見えるような水分、つまり雨や雪あるいは濃い霧などがあれば、規程上エンジンアンチアイスを作動させることになっているはずである。にもかかわらず機長がそれを作動させなかったこと、そして副操縦士がそのことに対して何も異論を唱えなかったことについてはいまだに謎のままである。


② 胴体や翼に雪や氷が付着したまま離陸を開始したこと
  エアフロリダ90便は除氷作業終了からタクシークリアランスをもらうまでにおよそ30分、その後管制塔から離陸の許可をもらうまでに20分という時間を要していた。その間空港周辺の雪はやみ間もなく、若干の強度の変化はあったにせよ激しく降り続いていたのだ。その間に胴体や翼面上にかなりの雪が降り積もり、あるいは付着したことは容易に想像できる。実際に離陸滑走を開始したエアフロリダ90便を目撃していた別の便の機長は、「見ろよあの飛行機。ひどい雪をくっつけたままだぜ」と思わず口に出したと後日語っている。

  通常これだけ長時間待たされた場合、少なくとも翼面上の積雪について、コックピットやキャビンの窓から直接目で見て確認したいと思うのが普通なのだが、90便のクルーがそれをした形跡はない。このことについては想像の範囲でしかないが、他の飛行機たちが次々と無事に離陸していくのを見ているうちに、いつの間にか持ってしまった裏付けのない安心感。そしてここで再びランプに戻り何らかの措置を取れば、再びこの長い行列の一番しんがりに付かなければならなくなってしまうことへの不安感。これらがその判断を狂わせてしまった大きな要因ではなかったのだろうか。

  これに加えて、ボーイング737型機は機種固有の特性として、主翼端の前縁部分に氷雪の付着があると、離陸時に急激なピッチアップ(機首上げ)を生じるという事例が報告されていたのだ。このことについてはパイロットたちにも周知はされていたはずだが、エアフロリダ90便の離陸に際しても同様な症状が現れた可能性は高いと思われる。このことによって足りないパワーでようやく稼ぎ出した速度も、一瞬にして浪費してしまったのに違いない。


③ 離陸滑走の早い時期に副操縦士が異常に気付いたが、離陸を中止しなかったこと
  副操縦士はエンジン計器の指示に何度も「おかしい」、「なんか変だ」と異常を訴えたが、機長はそれを無視し「いや、まともだよ」と応じた。機長がまともだと言っているのに、副操縦士が違うとは言えない、そんなコックピットの人間関係は当時それほど珍しいものではなかったはずである。

  なぜコックピットに複数のパイロットが必要なのか。それは一人の人間の能力には限界があるからだ。単に知識量や技術だけの問題ではない。一人ではすべてを四六時中監視していることは不可能だ。記憶違いや勘違いもある。とりわけコックピットでは考えなければならないことが多過ぎる。一人では無理だから複数なのだ。

  この人間に関わる要因については第三章で詳しく述べることにするが、いずれにしてもせっかくコックピットに二人のパイロットがいながら、その多重性の効果は全く発揮されず、機長一人で飛んでいたのと同じ状態に陥ってしまったことは、まことに残念としか言いようはない。雪の影響によるエンジンパワーの不足や操縦特性の変化といった、外部要因による様々な安全阻害要因を最後に受け止め、対処し排除していくのが人間たるパイロットの最大の役割である。そしてその役割をさらに効率的かつ確実にこなしていくためにクルーが編成されているのだ。
  それなのにこの運命を分ける最も重要な場面で、致命的なヒューマンエラーが出てしまった結果がこの悲劇を生んだと言っても過言ではないだろう。




  すべての意味で事故例は貴重な情報の宝庫であると同時に、先人の体験を共有する絶好の機会でもあります。
  「過去の事例に学ぶ」姿勢は安全を希求していく上では絶対に必要不可欠であり、本書においても読み進むための参考事例として、この物語を頭の隅に置いておいていただければ幸いです。

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1-2  ハドソン川の奇跡

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